KARITA
JUNYA
Contents
Creative
Choreographyダンスでの表現
KUSABI WORKS
Introduction
その昔、特にスポーツが得意なワケでもなく
勉強が好きなワケでもない普通の少年がいた。
学校での勉強と部活だけでは楽しみきれなかった普通の14歳のガキだった。
部活で疲れて帰ってくるが、何かモノ足りない。なぜか素直に寝れない。
夜中に自分の部屋からキッチンへなんとなく冷蔵庫を漁り、なんとなくテレビをつける。
色んな欲が旺盛な14歳のガキがあるテレビ番組に出会う。
色鮮やかな洋服を身にまとい、見た事もないような髪型の男女が大音量の音楽の中で踊り狂ってる。
もともとダンスに興味があったわけではないが、不思議と目が奪われた。
ダンサー達が輝いて見えた。そこには自分の知らないエナジーが溢れていた。
でも、まだその時は自分の感覚に変化が生じているとは気付きもしなかった。
一週間後、夜中にテレビをつけると、また偶然その番組が放映されていた。
どうやら毎週やっているらしい。
最初は気付いていなかった。
そのダンス番組を観ているとなぜかカラダが震えていた事に。
家族が物音で起きないようにストーブもつけずに、ひっそりテレビを観ていたから部屋が寒いせいだと思ってた。
本当はそうではなかった事を夏の夜が教えてくれた。
ブラウン管の中で踊り狂うダンサーが、一つ技を繰り出す度に客の声援が湧く。その度に俺のカラダは鳥肌に包まれる。
全身鳥肌が立ち、震えが止まらない。
カラダの中の方から震えが来る事に気付く。
高校生になった頃にはそれが「魂が震えている」という事を知る。
知識や経験ではないモノに魂が反応したという事だ。
だが、踊り始めて2年が過ぎてもダンスの仲間には出会えなかった。
ストリートダンサーを名乗っていても、ずっと1人じゃしょうがないからダンススタジオという世界に行く事にした。
ダンスを通じて人と出会う。近くにダンスの話を出来る人がいるだけでとにかく嬉しかった、とにかく楽しかった。。
こんなにも楽しく充実した人生に変わるとは!なんて思っていたら1ヶ月ぐらいでスタジオをクビになった。まぁ、、、俺のせいなんだが、、、。
でも、そのスタジオで出会ったヤツにストリートで踊ってるヤツらを紹介してもらった。
札幌の大通り公園3丁目に集まるダンサー達は最高のヤツら大集合だった。
皆んな頭の線は何本か切れてるから感覚が変だったし、頭のネジも何本か飛んで無くなってるヤツらだったがとにかく最高のダンサー達だった。
ストリートというものは自然に仲間が繋がっていく。
大人が仕切る場に子供達が連れて来られて「さぁ、今日から皆さん お友達ですよ~」なんて話じゃないんだ。
何かを感じたヤツらが集まる場所。それがストリート。
それは、ダンサーだけの話じゃない。パフォーマーだけの話でもない。
何かを求めて街に集まる若者達が感じ、学び、主張する場所。それがストリート。
大人達が街を綺麗に維持するために警備員や防犯カメラまみれにしてる現代だが、若者達には存分に遊んでほしい。
ぶっ飛んだセンスというモノは無難な生き方をしていたら生まれないのだ。
枠なんかに収まらず 大人達の目を潜り抜けて、存分に遊びまくってくれる事を心から祈る。
「すべてはストリートから始まった」
なんてフレーズをよく聞くがあながち嘘ではないモノが多い。
街はエナジーで溢れてる
今日も世界中のストリートで見た事もない新しいエナジーが生まれているのさ


History
1990年にヒップホップダンスを始め、97年に初めての海外旅行で1人で1ヶ月間アフリカに行き、ダンスのスタイルが変わる。ストリートダンスに様々な部族の動きが加わり、独自のスタイルに変化。2000年からコンテンポラリーの舞台など活躍の場が変わり、MVやCM、映像作品などにも出演。刈田順也プラスワンというシリーズ企画で毎回様々なジャンルのゲストを1人招き、演劇要素も含めたダンス舞台を自身で企画するなど、現在もダンスを通じて色んな分野で活動している。
